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子育てブルースマン、ロンドン.のウェブログ

昔ばなし

中学2年生でロックに目覚めた。

そのころの私の頭の中は、あふれんばかりのロックへの愛がうずめき、血中ロック濃度は基準値を大幅に超え、年齢によっては死にいたる値であった(厚生労働省調べ)。

島の総人口は3000人に満たないほど、みんな知り合い、中学校は小学校と同じ面子で1学年1クラス30人ちょい、島にはコンビニすらなく選べる友達の幅はごくわずか、せまいせまいコミュニティの中では、同じものを分かち合える人間に出会える確率はものすごく低い、選べる立場ではない、与えられたカードがそもそも少ないのだ。

全国的に見れば決して少なくない、ロック好きというジャンルの人間は、私の中学校にはなんと1人もおらず、はたから見ればいつもふざけたことばかりしている楽しそうなお調子者であった私は、その見た目とは裏腹に中学三年間図書室でずっと悪魔を育てることになったのである。

決して満たされることの無い中学三年間が終わり、瀬戸内海に浮かぶ小さな島から出て、寮生活をしながら学校へ通うことになった。

思春期と言うものは大変な思想の偏りを見せるもので、私にとってロックがこの世の全てで、ロック以外は全員敵であり、ロックがが分かる人間だけが私の仲間だった。

バンドが組みたくて組みたくて、夜寝る前にいつも思い浮かべる大観衆の前でギターをかき鳴らす自分を現実のものにしようと手当たりしだいに声をかけた。が、現実は厳しく、なかなか気の合う人間には出会えず、また高校でも図書室で悪魔を育てていた。

学校の勉強机に必死に好きなバンドのロゴを描いた。音楽の授業でリコーダーで好きなギターリフを吹いた。私は分かって欲しかったのだ。気付いて欲しかったのだ。自分を理解してもらえる人間が欲しかったのだ。

暗闇を大声で叫びながら歩いている私に一筋の光が見えた。ロック好きの友達が出来たのだ。なんともうライブハウスでライブをやっている最高な人材だった。そいつについていってはじめてライブハウスに行った。かかっていたのはクラッシュのロンドンコーリング、薄暗くタバコと酒とエスニックなお香の匂いが入り混じった空間に興奮しながら立ち入ったが、問題が起きた。

恥ずかしいのだ。死ぬほどロックを愛している私が、そこのコミュニティでは誰も知り合いがおらず、バンドすらしていない。話をしても、ついていけないのだ。実際に生きたムーブメントの中にいる人間の情報と、たった一人で戦ってきた私では知識の量と質が桁違いであったのだ。そして何より交通手段の無い私は母親に迎えに来てもらっていた。これはもう決してロックではない。いまでもこれは許せない。

自分の全てがロックなのに、自分がロックではない。私の存在は虚無であり、もう生きていきようがないように思えた。私の心は常に歯がゆく、なぜ生まれてきた環境だけでここまで歯がゆい思いをしなければいけないのかと、私は新たな孤独を抱えることとなる。理想どおりに物事が行かないことをストレスというそうだ。まさにロックが私の生きる原動力であり、ストレスであったのだ。

そんな時ドラムが出来る友達が出来た。ロックが好きだと言うことでとてもうれしかった。しかしまた問題が起きた。そいつはJpopの中にあるロック風のものが好きだったのだ。上記のとおりロック以外は全員敵なのだから、死ぬほどそいつを嫌いになって首にした。

結局メンバーが集まるころには2年生になっていた。

野球部をやめたポップパンク好きをドラムにし、帰国子女のイケメンをボーカルにした。

そしてベースが見つかった。なんと、私が机に書いていたバンドのロゴや、音楽の授業で吹いていたギターリフで気が合うと思っていたそうだ。

私は宙に舞い上がった。体には羽が生えていたし、空には虹がかかっていた。私はやっと理解され、この世に存在することが出来た。私がやってきたことには意味があり、全てのことは無駄ではなかったのである。

 

そのベースと結婚することになるのだがそれはもっと先の話だ。